Untitled Document
Untitled Document
 
Untitled Document
Untitled Document
 
 
ここは釜山広域市南区大淵4洞に所在する国連記念墓地です。世界平和
と自由守護の大義に若き生命を捧げた多くの国の戦没者が静かに眠る
聖域です。この墓地は14.39ha(約45.000坪)に1951年1月国連軍司令部
によって設けられ,同年4月に開城?仁川?大田?大邱?密陽?馬山等地に
あった6ヶ所の墓地から移葬しました。 1955年11月,韓国議会は韓国
戦争に參戦された国連軍に感謝と敬意を表す決議を採択し,同時に壮
烈に戦死をなされた高貴な英霊を千秋青史に讃えるため,韓国に国連
記念墓地を設けるよう韓国政府が国連総会に提議する事を建議したと
ころ,国連総会は1955年12月,韓国戦争戦没者追慕のため韓国に国連
記念墓地を設置維持することを決議し,1959年11月,国連と韓国政府
間に正式協定が結ばれて1960年3月から国連が記念墓地の管理を担うこ
とになりました。
この協定によって韓国は自由と世界平和を守るため韓国に対する侵略者を撃退中散華なされた国連軍戦没者の霊
に対する敬慕の想いを永遠に継承するため墓苑敷地を永久に無償提供しました。高台には20ヶ所の小区画があり
、区画ごとに參戦した国連加盟国と韓国の国旗が年中翻っており,国名が銅板に陽刻されています。ベルギー・
,ルクセンブルク゛・イタリア・インドは同一区画にあり,この地域を象徴地区と呼んでいます。
1951 年から 1954 年の間,ここには国連軍将兵 11.000 余柱が安葬さ
れておりましたが、ベルギ - ・コロンビア・エチオピア ? ギリシア
・ルクセンブルク・フィリピン・タイ・アメリカ将兵の英霊大部分と
フランス・ノルウェイ将兵の英霊一部は彼等の祖国に移葬されました
。 オーストラリア (281 柱)・カナダ (378 柱)・フランス (44 柱
)・オランダ (117 柱)・ニュージランド (34 柱)・ノルウェイ (1
柱)・南アフリカ共和国 (11 柱)・トルコ (462 柱)・英国 (885 柱
)・アメリカ (36 柱)・韓国 (36 柱)と共に無名勇士 (4 柱)・非
戦闘員 (11 柱)の 2.300 位が静かに眠っており、墓ごとに戦没者の
姓名,戦死日時,戦死地域などが刻まれた墓碑が立てられました。 墓
域内に植えられた樹木の大部分は各国政府,各機関,個人の寄贈に依
ったものです。 トルコ旅団の墓域西側に 2 基の記念碑が建立され、
その中ほどにはギリシアの記念碑が立っています。韓国戦争に參戦戦
没されましたが航空機事故などで遺骸を探せなかった 386 柱を追慕す
る英連邦慰霊塔は 1965 年 5 月英国政府が墓域東側の低地に建立した
ものです。 1998 年 11 月オーストラリアの彫刻家が寄贈した記念碑
は西側のオーストラリア墓域に立っています。また 2001 年 11 月カ
ナダ參戦勇士会が寄贈した記念銅像も西側のカナダ墓域にあります。
墓域の下方に 1978 年 10 月韓国政府が建立した国連軍慰霊塔の壁面には參戦国の支援内容と戦死者数が青銅板
に刻まれ,塔内には戦没国連軍将兵の名簿が収納されています。 1964 年に建立された礼拝堂は戦没将兵の信仰
する宗教を考慮して韓国建築家が設計、建築したもので,事務室棟 ? 記念館 ? 付属建物は 1968 年国連によっ
て建てられたものです。 東洋様式の正門は 1966 年 11 月釜山市民の浄財によって立てられたものです。
参戦国現況
  戦闘支援国 (16 ヶ国)
:(16ヶ国オーストラリアカナダ ・フランス・オランダ・ニュージラン ・オーストラリア・カナダ・フランス
・オランダ・ニュージラン ド・南アフリカ共和国・トルコ・英国・アメリカ・ベル ギー・コロンビア・エチ
オピア・ギリシア・ルクセンブルグ・フィリピン・タイ

医療支援国(5ヶ国) :ノルウェイ・デンマーク・スウェーデン・インド・イタリア
Untitled Document
 
Untitled Document